存在、そして伝承

人間は、いつから「教育」という理念を持つようになったのでしょうか。これは勝手な想像ですが、遠い昔には「人間」などと言う言葉も無く、単なる「ヒト」という動物で、現存する野生動物達と同じように弱肉強食の世界にヒトとして生きていたのだと思います。そしてたぶんその世界では、かなり弱い部類に入る動物だったのではないでしょうか。ただ、ヒトは他の動物よりも少しだけ脳味噌が多かったのか発達したのだと思います。そのおかげでヒトは、弱いながらも知恵を使い弱肉強食の世界を生き抜いたのだと思います。あくまでも想像です。
理由はわかりませんが、ヒトは知恵を持続させる事で「進歩」という発達をしている最中に「弱いのだから多数で生きる方が何かと便利だ」とでも考えたのだと思います。そこで群れを作って暮らすようになったのでしょう。群れを作る動物は他にも多く見受けられます。しかし、動物の場合は群れの中に平等と言う概念はありません。やはり群れでも強いものが偉い社会なのです。多分ヒトも最初はそうだったのでしょう。そして、きっと、それぐらいの時代から「弱いヒト」が、生き延びるための知恵を伝えていく、と言う文化が生まれたのだと思います。伝えるために絵を描いた事がきっかけで文字が生まれ、ヒトの生き方が記録として残りだした時に、初めて「教育」という理念を持ったのだと思います。この頃には、人間という言葉も生まれていたかも知れません。そして、伝えて残すために大人が子供に言葉や文字を教えるという行為こそ「教育」の根源ではないかと思うのです。このような出来事と同時期に「神」などの宗教的な世界観で多数を統制するという考え方も生まれたのだと思います。そのような神的な宗教観の中で、初めて動物には無い考え方の「平等」が誕生したのでしょう。
現代社会のおいての教育とは何なのでしょうか。根本理念は遠い昔と変わらずに「伝承」という個々の持つ「想い」「哲学」「理念」などを次世代に伝えるためなのだと思います。では、なぜ伝えなければいけないのかと言うと、それは「人間の進歩」に繋がるからではないでしょうか。そして、実はその教育においては、昔の人から現代人までが揃って口にする「平等」などは存在しないのです。
たぶん、昔の人間は「教育」を通して「平等」を説きたかったのだと思います。しかし、「教育」が多岐に広がり細分化されるほどに専門分野が生まれ、そこでは、やはり教育と言う現場での格差が出来てしまうのです。当たり前の話ですが「進歩したい」と考える人間と「このままで良い」と考える人間の向上心の差は、言わなくても理解は簡単です。
人間は「進歩」する生き物です。そのための教育は必要ですが強要ではありません。しかし、義務教育というシステムが、ある年齢まで強制的に設けられます。この時期が人間にとって唯一の「平等」と言っても良いでしょう。その後は、絶対的に不平等です。でも、進歩を止めない人間がいる限り「教育」は存在し、伝承され続けるでしょう。

 

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